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映画「ドライブ・マイ・カー」を観た

dmc.bitters.co.jp

久々に良い映画を観た。以下、ネタバレありの思いついたままの感想。

 

終わってから、3時間という時間にびびってしまい、いままで観に行かなかったことを後悔する。

劇場のアップリンク京都で観衆は5名。終わるのが22:30ということもあり、しかたがないかなとも。席と頭がかぶらないように設計されたよい劇場だった。来るのは2回目。

 

冒頭、主人公夫婦の夜の営み。50歳前後とおぼしきなのに、情熱的な行為にふけることにやや違和感を感じたが、これは主人公の家福が妻をつなぎ止めておきたいという伏線でもあったように思う。

空港から自宅に戻り、妻の不貞を目撃した時に、ドアをそっとじするところも、違和感がありありだったが、これも思えばはじめての確信ではないという伏線であったように思う。すべての違和感に理由があり、そういった意味でストレスのないストーリーだった。

 

この序盤から物語のもう一人の主人公ともいえるサーブ900ターボに荷物を出し入れする際、ハッチバックを開け閉めするところが、この車独特の曲線を描いており美しい。

 

始まって40分、タイトルが出るまで、長いアヴァンだっと気がつかなかった。

サーブのターボのエンジン音でただ走っているだけで気持ちよい気持ちにさせられる。おそらく、エンジン音、排気音の収録は相当気を遣っていたんだろうと感心させられる。ついでにマニュアルとオートマか気になっていたが、マニュアル操作のシーンがないので、オートマだろうなと思っていたら、やはりオートマだったようだ。三浦透子も、直前まで車の手配をしていて、いずれかきまっていなかった為、マニュアルの免許を取ったとインタビューにてこたえていた。

 

妻と娘の死から2年がたつ。妻との最後にかわした約束が果たせず、心の喪失がいくつも折り重なる主人公が広島での仕事に行く。サーブ900ターボで行く。アーティストインレジデンスで2ヶ月住み込みで舞台演出を採用から行う役のよう。

多摩ナンバーだったので、広島まで乗っていったことは想像できる。妻の運転にダメだしをするあたり、車を本当に大事にしていることが分かる。

 

二重の意味で、舞台となる広島国際会議場は仕事でちょいちょいいったことがあり、スロープから降りてきて、地下の入口(やけに狭い)から入ってくるところ。車を駐車してまっている、女性ドライバーのみさき(三浦透子)がそれだけで頭にはいってくる(本読みの会場はアステール。これも広島国際会議場のすぐ近く)。

 

劇中劇としてワーニャ伯父さんの舞台演出および主演(のちに俳優をやめる)を務める家福悠介(西島秀俊)が、車の中でカセットテープで繰り返し繰り返し無機質な妻の声が繰り返されるのを聞いている。台詞が主人公をとりまく環境と入れ子状態になっており、進行・脚本に感心した。

監督の濱口竜介も感情をこめずに本読みをするというので、こんな感じなのかと思いながら観ていた。

テープにはもともと主役だった家福悠介の声はなく(そもそもそういうオーダー)、2年後の広島でも繰り返し繰り返し、悠介の声がないテープを聴くことで、主人公の喪失感を感じさせられる。

 

高槻耕史(岡田将生)は、リアルにいたら絶対つきあいたくないタイプの一人だったが、見せ場の一つ、車の中での家福との対峙のところで、ぐっと好きになった。迫真の演技であのちゃらい感じがまた、演技でやっていることに、はっとさせられた。涙ぐむところが、ちょっと本当に音さんのことが好きだったようでもあり、自分に酔っているようでもあり高槻らしくもあり。

このあとから、助手席にすわるようになった家福に、心境の変化を感じさせられ、よい演出だった。そもそもツードアの車でわざわざ後部座席にすわるかね?と思っていたが、これも伏線だった。見事に回収される。

 

高槻の車は、最近は中国資本になって高級車路線になったボルボを乗り回し、あいかわらずの事件事故を起こす一方で、家福の車が同じ北欧のサーブ、しかも車事業からは撤退しているサーブ900ターボを丁寧に乗っていることが、うまく対比になっていたのも感心した。感想ブログを徘徊したら、スタッフの公用車はボンゴだったようで、マツダ城下町なのでうまいこともってきたなとこれも妙に感心する(CX-8だったら興ざめだったかも)。

ちなみにサーブ900ターボは、乗っていた人の話を聞くと、月に1回は故障するような車でなかなか維持も大変だったように聞く。それにしても走っている様子を俯瞰で追っている映像が美しい。カーブの連続などロケハンは念入りに行ったんだろうなという感じ。

 

車内後部座席からの映像と、主人公の車の前方から、主人公の車をおってる画などはどうしてもカメラを意識させられると同時に、客観視している自分の存在をあらためてかんがえさせられる構造になっているが、そこはやや気になる。1人称視点の画もあってもよかったかななど。

 

みさきがほぼ無言で過ごしていたのに、主人公を北海道をめざすところから、ロードムービーっぽくなる。サーブの生まれ故郷みたいな北海道を目指すのは、みさきの生まれ故郷を目指すのと似ているなと思っていた。

映画の中で秋の終わりっぽい感じから、プリンスホテル玄関のクリスマス飾りから、冬になってきたんだなとわかる。雪対策は大丈夫かな?と思っていて、このあたりタイヤ交換がなにかのエピソードになるかとおもっていたらならなかった。

途中コメリで大量の買い物をしたので、防寒着に加えて、チェーンをかっていたのかもしれない。

 

家福とみさきとそれぞれの秘密を共有し、抱えていた悩み、生き憎さを肯定しつつ、お互いが、凸凹みたいに補完するような格好で理解しあう。

 

事件があり、高槻が舞台にでられなくなったことでペンディングになっていた演劇の主役をどうするのかと突き詰められていた家福が、このたびで全てを飲み込んで(あるいは諦めることを認めて)ワーニャ伯父さんを演じる。

イ・ユナ(パク・ユリム)がワーニャ伯父さんを後ろからかかえながら、手話による無言劇(無言ではないが)が迫真の演技で、のみこまれる。調べてみたら、韓国の女優さんだった。あの演技は感想を徘徊すると、絶賛する声が多々多数。

 

ラストの釜山は、頬の傷が消え、サーブ900ターボをのりまわすみさきが笑顔でよかった。あたらしい人生をあゆみだしたことがわかる。

犬はあの犬とはあきらかに別の犬種なので、日本からつれてきたのかなと思う。

助手席には家福がいないが、スーパーの買い物の量からいって、一緒に韓国でのアーティストインレジデンスなどで長期滞在しているんじゃないかなと思った。ただ韓国語が堪能なので、住んで長いのかなとか、移住したのかななどを想像させられた。

 

その前。北海道の抱擁シーンもあそこでとどまってよかった。みさきと最後に結婚したのでは?という感想もみたが、ワーニャ伯父さんの結末が、ワーニャは自殺をやめ、姪のソーニャに説得され、彼女といっしょにいまの苦しい生活を続けるといった内容なので、おそらく夫婦ではなく、良き理解者というパートナーで新しい生活をはじめたのではないかなと思いました(ワーニャよりよほどましな現実)。伯父と姪のような関係。

 

映画がよかったので、サントラを買いました。原作の村上春樹の本も手に取ったのですが、どうも鼻につく文体が苦手で、そっとじしちゃいました。